ポイント🤸
- 1940年東京五輪のメインスタジアム予定地
- 1964年東京五輪のサッカー会場
- 2021年は練習会場
ポテンシャルを活かしきれてない
1964年のオリンピックが東京で開催されたことは誰もが知っている事実。この大会は、第二次世界大戦後の日本の復活のシンボル的な大会として今も語り継がれています。
しかし、1940年に東京でオリンピックが開催される予定だったことを知る人は決して多くはないでしょう。
ちなみに1940年というのは、江戸時代が終わってからたった70年後のことです。
アジアで初のオリンピック開催地として選ばれた東京オリンピックのメインスタジアム建設地に選ばれたのは、当時ど田舎だった東京府荏原郡駒沢町の駒沢ゴルフ場の跡地。
選ばれた理由は、周辺の土地に余裕があったから。当時の世田谷は、現在の狭苦しい環境とは違い、まだまだ土地に余裕があったということです。
しかし、戦乱に明け暮れていた当時の世界情勢の波にのまれ、さらに政治に踏みにじられたオリンピックは中止に追い込まれます。
それから24年後、1964年に開催されたオリンピックでは、メインスタジアムの座を国立霞ヶ丘競技場に譲り、駒沢陸上競技場ではサッカーが開催されました。
さらに月日が流れた2021年の東京オリンピックでは、サッカーの練習会場として利用されました。
鉄道でもバスでも
東急田園都市線「駒沢大学」駅から徒歩15分と、鉄道でのアクセスもまずまず。そのうえ、渋谷、恵比寿、田園調布等へ行く路線バスも充実しています。
しかし気をつけたいのは、このスタジアムがとても広い公園にあること。おかげで複数のバス停が公園の周囲に点在しているのです。
バスに乗る際は、あらかじめ自分が利用するバス停を調べておいた方が迷わずに済みそうです。
イケてない屋根
メインスタンドに設置されている屋根はかなり個性的なデザインをしていますが、機能面では期待しない方が良いでしょう。
「形態は機能に従う」という言葉があります。機能性を求めれば、おのずとそれは良いデザインになるという思想から生まれた言葉のようですが、この屋根はデザインも機能性も共倒れ。
隙間が多いうえに面積は小さく、それでいてカッコ悪いのですから最悪です。
デザインをする際には、美しさよりも機能を優先してほしいものです。
バックスタンドは目黒区
一方で、バックスタンドとサイドスタンドには屋根がありません。谷の地形を利用して建設されたスタジアムは、さわやかな開放感を誘う青いトラックが印象的です。
どうでもいい情報かもしれませんが、スタジアム内に世田谷区と目黒区の境界線があるため、サイドスタンドの一部とバックスタンドは目黒区になります。
門限は日没
Jリーグを開催するにはもってこいのサイズのスタジアムですが、残念なことに照明設備がありません。病院に隣接していることが原因らしいのですが…
ということで、ここをホームスタジアムとするクラブは無く、東京ヴェルディがたまに使う程度です。
世田谷区の人口は、東京23区最多の約94万人。駒沢大学駅の1日の利用者数は8万人以上。前述のとおり路線バスも充実しています。
このように、このスタジアムが秘めるポテンシャルは相当高いはずですが、そのポテンシャルを活かしきれていないことが残念です。
サッカーがおさえきれていない東京23区では、ラグビーが積極的に試合を開催しています。
病院の存在や面倒な周辺住民に関わりたくない気持ちはわかります。しかし、繰り返しになりますがポテンシャルはあるのにそれを活かしきれていないことが非常に残念です。