ポイント🌞
- 広大な堀の跡
- 隣の野球場も堀の跡
- 百間堀も復元すべし
巨大な堀が無残な姿に
かの徳川家の大軍を2度も退けた天下の名城、上田城。
38,000もの軍勢を率い、関ヶ原に向かう徳川秀忠(家康の三男・後の第二代将軍)を真田昌幸と信繁親子が、わずか2,000足らずの軍勢で足止めした「第二次上田合戦」はよく知られています。
1583年、真田昌幸によって創築された上田城は、関ヶ原の戦い後に徹底的に破壊されました。徳川からしてみれば、親子二代に渡って煮え湯を飲まされた城なわけですから、これを破壊するのは当然でしょう。
その後、江戸時代に仙谷氏により再建されましたが、明治に入り廃城。民間に売却されてしまいました。
廃墟になりかけた上田城ですが、城を愛する市民の熱意により、往年の姿が蘇りつつあることは嬉しい限りです。
まずは上田城
上田に着いたら真っ先に訪れてもらいのが上田城。写真と文章では伝えきれない、カッコイイ城です。
1994年に復元された本丸東虎口櫓門です。かの有名な真田石はここにあります。
見てください、この巨大な石!これが「真田石」です。
大きな石には意味があり、屈強な印象や権威をアピールする目的があったようです。
実はこの石、本当は仙谷氏による再建時の石垣なので、真田氏は関係ないといわれているそうです。それでも真田石と名付けてしまうところに、上田の方々の深い真田愛を感じます。
下から見上げると城の堅牢さがよく分かります。
城は攻めるものではなく、守るもの。アウェイで奪ったゴールをホームで守る。サッカーのアウェイゴールルールに共通する部分があるような無いような…
そんなアウェイゴールルールも廃止の流れが進んでいるようで、少し寂しくなります。
駆け引きとスリルとどんでん返しが詰まった感じがとても好きでした。
堀を潰してグラウンド
城の北側には、かつて「百間掘」と呼ばれたとても広い外堀がありました。
ところが現在そこにあるのは野球場と陸上競技場…
この2つの施設は1928年に造られたようです。
この百間堀は、真田氏の時代のものを利用していたと推定されるだけに、見るに堪えない姿になってしまったことが本当に残念です。
「城=天守」というイメージが強いですが、城の最大の魅力は、地形と郭を上手く組み合わせた全体性にあります。
正面から見ると見事な佇まいの上田城ですが、裏側に回り込むと見るも無残な姿を曝け出しています。
一日も早く百間堀が復元されることを願います。
駅から歩いて10分
東京駅から上田駅は北陸新幹線で90分。そこから歩くこと10分で城に到着です。
何度通っても楽しめる上田城。
季節によって様々な顔を楽しませてくれるので、少なくとも4回は訪れたいものです。